私が主治医なんだよ!

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004-20151121-191953 お医者さんにそんなに恨みがあるわけじゃないけど、みんな医者に頼り過ぎてるんじゃないのということ。医者の何処を信頼して頼ってるんでしょうか。

医者はたくさんいるので、信頼できる人もそうでない人もいるでしょう。優しいとか話を聞いてくれるとか、患者にとって大事なことですが、自分の命を預ける根拠としてはどうなのかと疑問があります。そんなことは、信頼する根拠にはならないんです。

信頼というよりも、依存に近い

お医者さんが私たちの健康を取り戻してくれてますか?そうではなくて、体の自然治癒力が病気を治すんです。医者が増えるほど患者が増える矛盾は、治すどころじゃない事を示してます。医者に命を預けすぎた時から、健康は生活のあり方で左右される、だから自分で健康な生活をする単純な考えを私たちから奪ってしまった、と考えています。信頼すべきは、自然の治癒力にということを忘れてるんじゃないでしょうか。

お医者さんの治療にもいろいろあるので全てだとは言いませんが、たいていは薬で症状を抑える事が目的です。錯覚してる人が多いんですね。お医者さんはあなたの病気を治しているわけじゃないんです。逆に症状を抑える事が却って治癒を遅らせている、邪魔をしている場合もあります。

医者という権威に頼りすぎた結果、健康はお医者さんの仕事だという錯覚があるんではないでしょうか。自分の本来の自然治癒力を生かすという発想が殆どないことが問題です。

治らない病気と医者の態度

> まあ、それはさておいて、世の中には難病という治療法の無い進行性の病気があります。難病指定された病気は厚生労働省の研究費用がつくので、治療法の開発の可能性が生まれますが、実際の所は根本的な治療法ができたと聞いたことはないです。

医者は本来病気を治す存在なのに、治らない病気に対しては根本的に無力です。

今日の話は、そんな難病を抱える人は、病気に関してはお医者さんしか頼れない弱い立場だから、お医者さん次第でとても過酷な目に合うという話です。

難病のAさんの苦悩

難病を抱えるAさん。珍しい病気ということもあり、診察できる医者も限られています。ご存知でしょうか?難病には治すという意味での治療法はありません。治癒が無い以上、患者は一生涯病気の進行と付き合って生きていくしかありません。

誰が考えても、そういう患者を診察する医者が、治らない病気を持つ患者に大きな影響力を持つことはわかります。良くも悪くも、影響は患者にストレートに及びます。私は仕事柄医者と関わる事が多いいので、患者の立場では見えない医者の顔が見えてしまいます。

もちろん 医者の全てがそうではないと知ってます。でも私の関わった少なくない医者は特権意識を持った暴君と感じることが多かったですね。

Aさんは歩行が困難となり、足が垂れないように装具をはめないと転倒してしまう、危うい状況になってきました。足が垂れてしまうから、爪先が床にひっかかる。そして転倒。筋力が無いため転ぶときに手など付けないので、転倒は脳挫傷や骨折に結びつきます。それだからAさんは主治医に足先が垂れないような装具を作りたいと相談しました。

そんなことは知りません

そんなAさんに、N医師は「そんなことは私の仕事じゃない。専門外だ。知らない」と、冷たい言葉で突き放しました。どうも自分の専門外の事を相談されるだけでプライドが傷つけられるようなのです。
私たちから見ると理解不能な反応です。みなさんは風邪で受診するぐらいの人が多いでしょうから、こんなことを聞いても、医者を何となく信頼しているのでピンと来ないでしょう。

とても残酷なことだと思いますよね。相手の状況や気持ちを思い測れる人間の心があるなら、こんな言葉は出て来ません。 Aさんは仕方なく訪問看護に家まで来てくれる、別の所属の医療スタッフに相談しました。

訪問スタッフは親切な技師装具士を知っていましたので、10日後装具を製作できる手筈までして、N医師に報告しました。すると「あなたは主治医じゃない。主治医はこの私だよ」と言い放ちました。私の専門では無いからそんなこと知らないと突き放した医者が、主治医の許可も無く勝手にそんなことをするなと言わんばかりです。

医者としてのプライドはそれに見合った行動・態度を患者に示せるものだけにしか許されないものです。影響が大きすぎるからです。

医者は驕って良いのか

医者にそんな権限はありません。医は仁術なりと言われたのは昔の事ですが、あまりにひどい。このような医者は皆さんが想像するよりも多いのです。Aさんがこの10日間、困り果てた結果、やっとのことで実現できそうになった装具をまた諦めることに成りました。

親切な義肢装具士は家にまできて、色々と相談に乗り、意見書を書いてくれる先生を紹介してくれ、当日送迎までしてくれることになっていました。医者が人格者と言う時代は昔から無かったのかも知れませんが、空論ですよね。

主治医をさしおいて勝手なことをするな

結局、N医師がそれから手配した医者に行かねばならないことになりました。苦悩の日々をほったらかしにしておいて、知り合いの知らない医者に受診しなくてはならない。

Aさんは主治医をN医師から別の医者に換えたかった。親戚に医者もいるので、親族会議を開き話し合いました。しかし、その結論は、珍しい病気だから、診察できる医者がそのN医師しかいない。仕方ないからこのままN医師にかかるという苦渋の決断をしたわけです。

嫌だけどやめるわけにはいかない。医者も患者が選ぶ時代ですが、診てくれる医者が少ないような病気では選ぶわけには行きません。どんな医者に巡り合うか次第ですから、博打のようなものですね。

医者の思い上がりだけは本当の事

医者は患者の身体を預かってるかもしれませんが、心まで踏みにじる権利はありません。医者は最高の治療を提供する技術者に戻るべきだと思います。

それに医者が病気を治すわけではありません。医薬会社と結びついて薬を飲ませ症状を抑えているだけだということを一般の人も認識する必要があることです。

多くの場合、単に症状を薬で押さえているだけなので、慢性疾患特に難病には無力なのが西洋医学です。 手術も本当に必要な手術だったのかどうか、患者にはわかりませんが、患者は命を預けるしかない。医者が命を弄ぶ人だったらとても怖いし、命をもてあそんでいる医師による事件が、時々新聞テレビをにぎわせてます。

医者が尊敬される条件は、病気を治してくれる人格的に優れている場合だけす。例外的な素晴らしい医者も少なからずいらっしゃいますが、殆どの場合、そのどちらとも願っても叶わないのではないでしょうか。

医者は命を預かる立場の技術者に立ち戻れと言いたいところです。

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